穴八幡宮参拝〜江戸時代を知る〜

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遅めの初詣。今年は穴八幡宮に行ってきました。

昨年は高尾山に一番最初に行ってきました。今年は穴八幡宮からスタートし、いくつか神社巡りをしようと思っています

牛込高田鎮座 穴八幡宮
東京都新宿区西早稲田に鎮座する穴八幡宮の公式サイトです。一陽来復御守・神事高田馬場流鏑馬など祭事のご案内や御由緒・ご祈祷・交通案内など各種ご案内いたします。

一陽来復守りで有名なこちら。金運に恵まれるとも言われています。
コロナ前は、母がお参りに行き、家族分のお守りを買ってきてくれていました。しかし、コロナになり、人が多いところには出向きたくないと、昨年からわたしの担当に。

昨年初めて訪れた時は、圧倒されました。


見上げても、見えない社。斜度が結構な階段を登りはじめたとき、言葉にはできない
「圧」
を感じました。登り切ると、スーーと、呼吸が楽に。って、単に階段しんどかったってことかも知れません(笑)。

昨年同様、今年も平日の朝早くに参ったので、お参りも社務所でのお札購入も、1秒も待つことなくスムーズに、4件分のお守りと5人分のお札を購入しました。

蟲封祈禱について

諸祈願・蟲封|穴八幡宮(東京都新宿区)
穴八幡宮の「諸祈願・蟲封」ページです。一陽来復御守・神事高田馬場流鏑馬など祭事のご案内や御由緒・ご祈祷・交通案内など各種ご案内いたします。

金運アップで有名なこの神社ですが、蟲封じの祈祷もあります

蟲封祈禱とは?
小児(新生児から15歳の元服まで)の癇の虫(かんしゃく)を封じる御祈禱です。
*HPより

正保三年(1646年)、三代将軍の厄除祈禱を執行して以来、幕府の祈禱所として月々祈禱札を大奥に納め、幕末に至るまで代々の将軍の信仰厚く、将軍の参詣も数十回に及びました。特に小児の蟲封祈禱は江戸市民の間にも信者が多く有名でした。

維新後には、明治十二年(1879年)大正天皇御誕生の折、中山一位局(明治天皇御生母)の御参拝があり、年々御蟲封を謹修し御守札を献上しました。各内親王御誕生の際もそれぞれ中山一位局より御使の差遣があり御蟲封を下命されました。

明治三十四年(1901年)、昭和天皇御生誕にあたっては柳原一位局(大正天皇御生母)の御参拝があり御祈禱を奉修し、以来各内親王御誕生の都度同様に御祈願があり、又常に御代拝を遣されました。
昭和に至り、上皇陛下を始め親王、内親王御生誕の際にも柳原一位局より同様に宮中へ御守札を献上しました。戦後にも今上陛下御生誕に際し御蟲封を謹修、御守札を宮中及び東宮御所へ奉献し、現在も親王、内親王、皇族方の御祈禱も年々奉修しています。
また一般の方々の御祈願も年々数を増やしており、今日では二代、三代に渡って蟲封祈禱をされる方も大変多くなっております*HPより

すごくないですか??
三代将軍(家光)の厄除祈禱を執行して以来、幕府の祈禱所として月々祈禱札を大奥に納め、幕末に至るまで代々の将軍の信仰厚く、将軍の参詣も数十回に及びました。*HPより

ドラマで見ていた大奥の世界。
大奥ですよ! ドラマでハマったあの大奥!!🤣そこに毎月お札を納めていたという史実。以降、戦後まで皇室も方々もこの蟲封じを服用していたなんて!

今は医学が発達し、しかも医療費は15歳まで無料。困ったことがあれば、小児科の先生にすぐ相談できます。的確にお薬も処方されます。また、癇癪持ちなんて言葉は死語?。子どもの発達に関してもお医者さん、保健師さん、保育士など、さまざまな人がその発達を共に見守ります。蟲封じのご祈祷のニーズはどれくらいあるのでしょうね。

とはいえ「問題ないですね」と言われて、うちに帰ったらなんだかやっぱり変。なんてこと合ったります。もし子育て中に知っていたら、試していたかも。なんせ、病は「気から」といいますし。

視野が狭いので、昨年見逃していた銅像?
神事高田馬場流鏑馬とは

昨年は駅からまっすぐ歩き、真っ直ぐ階段を見据えてあるていたので、この銅像?を見逃していました(どんなに視野が狭い😅)

神事高田馬場流鏑馬|穴八幡宮(東京都新宿区)
穴八幡宮の「神事高田馬場流鏑馬」ページです。一陽来復御守・神事高田馬場流鏑馬など祭事のご案内や御由緒・ご祈祷・交通案内など各種ご案内いたします。

流鏑馬とは騎射の一種で、矢継ぎ早に射る練習として、走る馬の上から矢で的を射る射技であり、平安末から鎌倉時代に武士の間で盛んに行われました。

時は流れ、江戸時代において八代将軍徳川吉宗公は、各家に伝わる古書を調査せしめ、久しく途絶していた流鏑馬の儀式を制定し、享保十三年(1728年)世嗣の疱瘡平癒祈願の為に流鏑馬を高田馬場(たかたのばば)で行ったのが将軍家奉納の穴八幡宮神事流鏑馬の初めであります。

元文三年(1738年)には竹千代(のちの十代将軍家治公)の誕生を祝い興行が行われ、以降厄除け及び将軍家若君誕生の折は流鏑馬が奉納されるようになりました。

↑HPより。

江戸幕府。本当にあったんだ(当たり前ですけど笑笑)と、その時代にタイムスリップした感じでした。もしかして前世江戸に住んでいたか???

ぶっちゃけ、母が言うところの「金運アップ」のお守りをお使いのように買い求めに行った昨年。ことしは、神社の歴史を知ってから行き、学び多い参拝でした⛩

帰りは雪がちらほら。大雪注意報が出る前に帰宅しました

 

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