人との出会いが運命を変える? ~ドラゴン桜2より~

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サヴァン症候群(厚生労働省 e-ヘルスネットより)

精神障害や知能障害を持ちながら、ごく特定の分野に突出した能力を発揮する人や症状を言う。重度の精神障害・知的障害を持つ人に見られる、ごく限られた特定の分野において突出した能力を発揮する人や、その症状のことです。1887年に、J・ラングドン・ダウン博士により「イディオ・サヴァン(天才的白痴)」と名付けられ、のち「サヴァン症候群」と呼ばれるようになりました。その能力については特に規則性や傾向はありませんが、○月×日の曜日をすぐ当てられる、膨大な書籍を1回読むだけですべて暗記できる、一度聞いただけの曲を最後まで間違えずに弾ける、航空写真を一瞬見ただけで描き起こせる等、並外れて高い暦計算、音楽、美術等に関する記憶力・再現力が特徴といえます。一方、それ以外の学習能力が劣っている点も特徴です。一般的に男性に多く、また自閉スペクトラム症(ASD)の人に多く見られます。サヴァン症候群についてはまだ解明すべき点が多く残されていますが、現在では、左脳の損傷によるという説が有力視されています。

先日放送されたドラゴン桜2で、普段昆虫をひたすら探している生徒が桜木先生にみいだされて、東大を目指すというストーリー。思わず涙……でした。サヴァン症候群がモデルになっているドラマは、韓国、アメリカで、そして日本でも山崎賢人さん主演の『GOOD DOCTOR』が有名です。わたしは3か国、全作品を見ました。韓国版においてはDVDまで持っています。
知的障害を持っていることで、疎まれたり、虐げられたり。しかし、持っている才能に気づき、その才能を活かす場を与え、その才能を伸ばすであろう環境をあたえ、信じて見守る理解者と出会うことで、神から与えられた才能を活かすことができる。「ここにいていいんだ」その安心から、活き活きと才能を発揮し、輝きながら突き進むその姿に周りの人が多くを学ふというストーリーは、グットドクターとドラゴン桜に共通する。と、わたしは思っています。

標準線から外れること

出産すると母子手帳に成長曲線があります。母子手帳は子どもとお母さんの記録として素晴らしく機能的です。昨今ではJAICAがインドや、アフリカなので普及させています。しかし。この母子手帳にある成長曲線。「普通」であること、この線で子どもの成長を「図る」ことをはじめる、最初のデータともいえます。近似値からはみ出ることで、その成長の異変を知るにはとてもいい指標ですが、時として、小さく生まれて、のんびり育っているお子さん、そしてその親御さんにとっては、言いようのない「圧」をかけます。あくまでもこれまでのデータの平均値です。この指標は、ドクターと、親御さんの会話のツールと捉え、「目安」以外の何物でもないと思って欲しいです。かくいう私は、毎月その成長曲線を見ては、「このこはちいさい」と思い、ドクターに相談しました。ある日ドクターが心配ないというものの、そんなに気になるなら、親御さんの身長から、だいたいこれくらいの大きさになるという計算式があるから、だしてみる? と言われ、計算していただいた経験があります(;’∀’)夫くらいの身長になることはわかりました。でも、少しでも成長してほしいと、食事にとてもこだわりました。いま、23歳。おかげさまで175㎝。もし23歳の成長曲線があったなら、平均より、ちょっとだけ大きいくらいでしょうか(?)

次男においては、1歳半健診で、先天的に歯が足りないと言われ、「歯が足りない??」と驚いたことがありました。すきっ歯になるのか……。案の定、歯並びが悪く、矯正することになりました。でも、歯が先天的に足りなかったことで、きっちり矯正できました。ドクターから「俳優さんなみにきれいな並びになったよ。将来楽しみ」と言われ、しばらく歯科医院にその笑顔が張られていました。標準からはみだすことは、一瞬こころが痛かったり、どきっとしたりしますが、わたしは子どもの個性をしっかり見つめることができてよかった。

数の論理から生まれる「少数派」

例えばダウン症。標準とされる染色体の数が一つ多い。例えば発達障害。厚労省e-ヘルスネットによると「本人の怠慢や家族のしつけ・環境などが原因ではなく、基本的に脳の機能の障害から起こります。「発達障害者支援法(2016年改正)」では「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの」と定義されています」と記されています。誰がわるいわけでもない、神様がこの世に送り出すとき、個性として授けてきたのだとわたしは思うのです。数の論理からいう、少数派。集団生活にはいると、いやおうなしにその個性が浮き彫りなります。集団で教育する「学校」という場においては、隅っこでおとなしく過ごしてほしい存在だったり、特別のクラスでじっくり授業を受けます。

光を見つけるのは第三者~才能を発見~

ドラゴン桜の桜木先生は、けんたくんのサヴァン症候群の徳性をみぬき、東大へチャレンジする道にけんたくんの光を向けるように導きました。そして韓国版グットドクターのチェ先生は、虐待されたパク・シオンを命の危険から守り、安心安全をあたえ、医学の道に光をあててパク・シオンが歩むよう導きました。これは、どんな人にも当てはまると思うのです。生まれ持った才能を自ら輝かす人もいます。そんな人でも、その輝きをもっと他に向ける方法を知り得たりするのは、第三者から認められ導きがあるからでは? とも思います。

「光」を探せるシッターの仕事

シッターとしてわたしが絶対しないこと。それは、「出来ないかもしれない」と思うことです。ドクターと同じく、わたしのアタマの中には、これくらいの年齢だと、こんなことが出来るという、成長曲線ではありませんが、これまで学んで来た発達のアウトライン、エビデンスなどがインプットされています。いわば物差し。3歳ならこれくらいできるという線にたっしていない項目があったとして。それは「いま」は出来なくとも、その子のこれまでの育ちを鑑み、わたしのアタマでプログラムを作り出し、一段一段、手を変え、品を変えクリアし、「できた」を共有し、共感します。保育園では、日々を安心安全に過ごすことだけでキャパオーバーでした。いまならもう少し多くの光を探せるかもしれません……。

今週も3歳児の光を輝かせます。いえ、わたしの光を輝かせていただきます

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