わたしのこと

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ご挨拶
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見つけてくださり、ありがとうございます!

妻歴27年、母歴23年。四捨五入すると今年で60歳。50歳で保育士資格を取得し、フランス人男子のシッターをしているmakikoです。

このブログは全力で向き合う私を受け入れ、育ててくれた子どもたちへの感謝と学び。これから迎える老後をよりよく生きる為に私たち夫婦がしていることを綴っています。60年近く生きているといろいろ学びました(;’‘)。そして最近は「これが人生」

C’est la vie

とこれまでの自分を受け入れもっと楽しもうと思っています。何かご参考になれたら嬉しいです

与えられた環境を生かすも殺すもお前次第

起業家を多く輩出する起業に短大卒業後、新卒で入社。8か月後、世の中を震撼させた事件が起き、事務職から営業職に異動(させられた!?)。そして、「飛び込み」からわたしの営業がスタートしました。勿論電話でも新規営業。なぜこんな羽目に……と、何度も思い、やる気のない営業でした。そんなわたしに先輩が言った言葉↑です。当時短大卒業生は、実務経験を3年くらい積まなければ営業職にはつけませんでした。わたしは事件というどさくさに紛れた人事で希望もせずにつくことになりました。「これを幸いとして結果を出し、新たに道を開くことができるのでは」とも言われ(今となっては、誰に言われたがさだかではないけれど)、頑張ってみることにしました。

自ら機会を作り機会によって自らを変えよ

わたしの大好きな言葉です。自ら選択することは時に苦しい。ましてや自分を変えることなんて、年を重ねるほどしんどいです。30数年前、与えられた営業という仕事は、日経新聞なんて読んだこともなく「会社」を全く知らなかった私を、社会人として育ててくれました。会社四季報で基礎知識をつけ、愛読書はドラッガーシリーズに。以来、辛い時にはこの経験を思い出し「よし、いこ!!」と前を向いてきました。

他人の人生は変えられない。比較ばかり(していた)の子育て

自分を変えることはできる。そう、わたしは信じて生きてきました。第2子妊娠の時、マタハラを受けました。詳細は記しませんが、専業主婦になる決断をしました。他の人に人生を変えられる屈辱。しかも命を授かったことと、仕事を天秤にかけ判断しなければならない苦しさ。夫に相談し、多くの先輩にも相談しました。

「いましか見られない子どもの成長を、その目で観なくていいのか?」その問いで、専業主婦の道を選択しました。専業主婦でも、自ら機会を作り、機会によって自らを変えられると信じていたから。

しかし。子どもはわたしの思い通りなりませんでした。なぜ泣き止まない?からはじまり、成長曲線通り大きくならない…、歩くのが遅い、喋るのが遅い、なぜここで急に走り出す?

幼い頃はこれくらいでしたが、子どもが集団教育と言う名の幼稚園に通い始めると、ほかのお子さんと比べることを始めました。結果、自ら機会を作り、機会によって自ら変えられると、小学校受験に挑みました。子どもの人生と言いながら、ここからわたしは子どもの人生を歩み始めたのでした。

原点回帰。自分の人生を生きる

長男は、小学校受験で大学附属の小学校に通いましたが、夫の転勤で北海道に住む際、中学受験をし、関西の大学附属校に進学し、そのまま大学に進学しました。次男は、長男と同じ小学校に落ち、北海道の公立小学校で伸びやかに過ごしました。しかし6年の時、「東京に帰りたいから受験する」と言い、そこから塾に通いだし、何とか中高一貫校に進学。級友が何人も最高学府に進学しましたが、浪人もせず、現役で届いた大学に通っています。あるママ友には、浪人させてチャレンジさせないのは意味が分からないと言われました。この時あたりから、こどもの人生を生きるのは違う。子どもは子どもの人生があると線をひけるようになり始めました。

しかし、20年も他人の人生を歩んできて、いきなり自分の人生!!と言って、「これをやりたい」と強く思うこと、すぐには見つかりませんでした。手始めにマルタ共和国に短期留学をしてみました。最近は夫と幸せ貯金も始めました。

 

 

コメント

  1. コジミ より:

    幸せ貯金という言葉がいいですね。わたしも真似してみます。

  2. れみちー より:

    早速読ませていただきました!
    まきこさんの人間性に惹かれました♡
    青森から応援しています!

    • MAKIKO3 より:

      れみちー、早速来てくださり、ありがとうございました!
      出会ったご縁に感謝します!これからもよろしくお願いします^_^