夫の移住を通じて思うこと①地域に馴染む

スポンサーリンク
幸せ貯金
follow us in feedly

夫が移住して3年目を迎えます。

わたしにとっては、別居生活3年目。移住先の良さをしりたいと、今年は青島神社の「海を渡る祭禮」を見に行きました。

青島神社の祭礼 | 青島神社
青島神社で行われる年間の祭や行事などを掲載しています。

旧暦六月十七・十八日に夏祭が執り行われます。二十二・二十三歳の氏子青年が主催者となり、お神輿の渡御があります。 氏子を巡幸、またお神輿を漁船に乗せまして島を一廻りいたすところから「海を渡る祭礼」ともいわれております。お神輿の渡御は古くから行なわれておりましたが、海上渡御は御祭神の古事を偲び、海積宮に御祭神をお連れ申し上げ、御神慮をお慰めしたいという氏子漁民の発意で昭和二十三年から始まりました。お神輿を乗せた船「御座船」を先頭に満艦飾の大漁旗等で飾った数十艘の漁船が列をなして進むさまは、壮観で当神社の祭礼で最も賑やかな御祭でございます。(HPより)

おみこしは、祭りは青島神社で出御の祭事が執り行われた後、22・23才成年男子に担がれて、途中主要な箇所で「暴れ」という、おみこしをぐるぐると担ぎ手が回す技?があります。この「暴れ」。海を渡る際のうねりや大波を表現したものです。

例年、数十艘の漁船が列をなし、青島港から日南のほうまでぐるりと回るのですが、ことしは夫が初デビュー。規模を縮小し、青島湾を周回しました。

夫は、漁師仲間をはじめ、知り合いが多くなっていました。

「奥さんは、船のらんとですか?」

聞かれ、

「船酔いするので、遠慮します」

と伝えると

「なぎやからだいじょうぶですよ」

と勧められました。事前に夫とはこの時期東京からきているので、今年はおとなしくしておこうということにしていました。

「ありがとうございます、来年チャレンジします」

そう言って、送り出しました。

港を周回している様子を見て、船が漁港に戻ってくるのを待っていると

「奥さんですか?」

と声をかけてくれた女性が。夫が良くいくヤマト運輸さんの従業員さんでした。

「お隣にずっといらっしゃったので、そうかなと思い、声をかけました」

と。そう言って、塩飴を2つ差し出してくれました。

「来てくださってありがとうございます」

そう言われてなんだか、不思議な気持ちになりました。

例年は2日間開催されること、船もたくさんでて、圧巻なことを教えていただきました。お囃子を聞いただけで血が騒ぐという彼女。気づけばこの祭りが体に染みついていたと。

「わたしは好きなのでこうして毎年さんかしていますが、これが嫌で街を出る人もいるんです」

この言葉に、いわゆる田舎のしがらみ、そして大事な文化を継承することの難しさが集約されていました。

担ぎ手の首には大きなこぶがあります。神輿だこです(;’∀’)。

「これっすよ」

そう言って見せてくださった。第七頸椎周辺にこんもりと。

「ガングリオンってやつです。祭りが終わったあとひっこんでいたんですけど、ある年からもどらなくなったとです」

そこまでして祭りに……。生まれてからずっと街で暮らす人の季節の中に、このお祭りがプログラミングされ、細胞もそれに合わせてカタチを作ってきたのだと思いました。

何人もの人にご挨拶しました。挨拶するたびに、夫がこの地に溶け込んできたんだな、と嬉しく思いました。

「奥さん!?」

と言われ、以前はどう思われているんだろう……なんて、思っていました。いまはそんなことを思わずただただ

 

「お世話になっています」

 

と、お礼を込めて返事をしています。中には奥さんがなんで来ないのか(移住)? という人もいたようです(;’∀’) これに対しても、上手にかわし、いまがあるようです。

コロナの影響で、地方移住を考えている人が増えていると聞きます。地方によっては起業推進の一貫で、ビジネスコンテストなどを開催し、収益が見込まれる案件は投資してもらえるようです。夫は宮崎県の漁業就労のバックアップを得て今にいたります。

夫が大事にしていたこと。

「まずは地元に受け入れてもらう。やりたいことがあってもここだけは多少の時間がかかっても築くことだ」

 

と。確実に懐に入っていました。

新しい事業が生まれ、雇用と税収が生まれたら、地域にとってはバンザイ🙌。しかし、忘れてはいけないと思うのです。昔からそこでしか生活をしたことがない人がいることを。その人たちに歴史があることを。

ダイバーシティ。古い価値観の人をも受け入れ新たに生産性を高めることが移住者に必要な心構えだとよくよく分かりました。

コメント