楽しい宴の翌日。地元の人と接する事の恐怖というか、からがなくたって来たので、いつもなら行かない温泉にオヤジと一緒に行ってきました。
温泉、銭湯、公共浴場。実は嫌いです。知らない人となぜお湯に浸からなきゃいけないの?? (笑)増してや話しかけないでくれーーーーー!!!という感じ。
こちらの温泉は、オヤジも子供たちも「気持ちいい」と。息子たちは朝行って夜も行っていました。一日中利用のタグを手につけて。550円で何度も入れるのはありがたい。
「神話の湯」
名前がすでに、宮崎っぽいです。⬇️の施設内の温泉です
銭湯といえば富士山😅
⬇️露天風呂から見る雲ひとつない空でした
サウナも嫌い😱でも、少しだけ入ってみました
このサウナで出会ったおばあさん。88歳。
「おじゃまします」
と言って入ると、
「とちらから?」と。
「東京から来ました」
「そう」と。
これで会話が途切れてくれ🙏と思いました😅。しかし、ご自身の年齢の話をされました。サウナ、長く入れないのに話をし続けたものの、ここで話した内容はわすれてしまいました♨️同じタイミングでサウナを出て、汗を流し、温かい湯船に浸かっていたら
「水風呂入らないと、締まらないよ」
と🥶水風呂なんて一度も入ったことがないです。心臓絶対口から出てくるって!!
と思っています。いや、ました。
「何かのご縁だ、入ってみ」
そんな声が聞こえ(笑)入ってみました🥶🥶🥶
体育座りで固まっていたら
「体伸ばさんと」
まじ( ; ; ) 力をゆるゆる抜いてみた。何のことはなかった♨️
こうして、交代浴ができるようになり、おばあさんとしばらく行動を共にし、話を続けました。
昭和9年生まれ。
戦中、宮崎には飛行場と航空機関連の会社?があり、米軍から攻撃される可能性があったそうです。お父様の実家がある大分で中学まで暮らし、後に宮崎に戻ったそうです。
「戦争の記憶はおありですか?」
「覚えちょるよ、6年生だもの」
と。ダサい問いかけですみません😅
中学校で宮崎に戻ったとき。当時は男女別学だったそうです。数年後男女同じクラス編成になった時は、ワクワクしたね〜と。
↑水風呂
話が終わると、湯船で運動。
「毎日8000歩歩いているから、ほら、足」と
足を触らせてもらいました😅
「青島の海岸ずーーと歩いて、途中でサーファーの数数えるとよ」
「?」
「目の健康保つため」
「ほー〜〜ー!!!!」
「自分の足で歩いて出掛けられなかったら、なーんも楽しくない。誰かの世話になりながらはつまらんもん。目も見えないとどこへもいけない。だから、毎日歩いて、サーファー数えて。よう歩いたなって自分を褒める。自分以外自分を褒めてくれる人、おらんやろ」
と。深い、深い。これぞ自分の人生を生きる
「お先に上がります」
と先に出て着替えをしていると、ロッカーがすぐそばでした。スマホを出し
「な、」
と、毎日の記録をスワイプしながら見せてくれました。
多い日で9000歩。雨の日でも3000歩。おみそれしました。
定期券を見せてくださり、88歳もホント
そんな話をしていると、ささっとコロコロを取りに行き、自分の周りを綺麗にし始めました。
「自分の周りくらいは綺麗にせんとね」
丁寧に生きる。
よく聞きます。
心地良いことを優先する
綺麗な器を使ってお茶を飲む。
キャンドルを灯して深呼吸する
手間ひまかけたお料理をする
などなど・・・・・・。
おばあさんのように、身の回りのチリ埃を無意識にまで綺麗にすることから始まり、すぐそこで出来ることを継続し、できたら「自分を褒める」ことなのではないか、と気づいたのです。褒めたら嬉しい=心地いいからまた続く。
「わたしの母は、98歳で亡くなったから、わたしも多分そこまで生きると思うんだ。だから、迷惑かけたくないし、楽しんでいきたいから歩く」
と。「人生100年を生きる」の最高のモデルを直視しました。
この日から東京に帰るまで、毎日通いましたとさ😄
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