機長のアナウンスに感動😭から始まる宮崎の旅

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高速道路を抜けると日が上り始め、京浜工業地帯がオレンジ色に輝き始めました。

空港近くには、沈まぬ月が見え、冬至前の地球の位置を感じました

チェックインを終え、ラウンジに着くと結構な人が。ビジネスマンらしき人というよりは、旅行の空気感がある方が多かったです。

カフェオレでちょっと一息つき、搭乗口へ。宮崎便は時々バスだったりするのですが、今回は5番搭乗口から。ということ、崎陽軒のお弁当が早朝から置いているお店の前を通過する😁早朝でも買えないことがあるのが、崎陽軒のお弁当。シウマイ弁当は特に早くなくなります。幸い最後の3😱 2個頂きました。
⬇️お昼ご飯

機内でもいつもどおり、K席で富士山をじっくり眺めました。上空から地形を見るのがとても好きです。今日は、雲もなく富士五湖も見えました。

そうこうしていると機長のアナウンスが。

国内線の機長の挨拶って、あまり印象に残っていません。便によってはないこともあったような・・・・・・。高度と順調に進んでいます、途中乱気流がある場合があるので、シートベルトをつけて! くらいしか覚えていません。

国際線では、ハワイ便で、ハワイ諸島の名前の覚え方や、軽く歴史などを教えていただいたことがありました。

今回のアナウンスにはうるっとしてしまいました。

要約すると

コロナウイルスにより、多くの人々の行動が制限され、多くの人々が苦しい時間を強いられきました。こうして一緒に空の旅をできることに感謝いたします。そして、どんなことがあっても前を向いて進んでいきたい。日本航空もこれまで幾多の試練を乗り越えてきました。これからも皆様から支持され航空会社を目指し、努力をして参ります。70周年を迎える日本航空をこれからもよろしくお願いいたします。

と。

1987年。その事故を仙台で知りました。「坂本九が乗った飛行機が墜落したらしい」と。テレビがなく、ネットもない時代。ラジカセ(笑)がテレビ電波を拾っていたので、そのニュース番組を聞き、ことの恐ろしさを知りました。

山崎豊子が大好きなわたしは、のちに刊行され、映画にもなった『沈まぬ太陽』。その後の経営破綻。これまた大好きな稲盛和男さんによる経営再建。半沢直樹シリーズ『銀翼のイカロス』と、ノンフィクション、フィクションと、さまざま読み学ぶ機会がありました。

旅行好きのわたしたちにとって、COVID19は行動を制限するとともに、ワクチンを打つ、打たない、海外に出られない中旅そのものをどう捉えるのか考えさせました。

とはいえ、離れて暮らしているので、飛行機での移動は必須になり、時にはお互い往来することを制限しなければならないフラストレーションに苛まれました。

機長のアナウンスに涙してしまった。

一つは、日本航空という会社の苦難を疑似体験していたから。

もう一つは、機内という一期一会の空間で、機長始めクルーがしっかり飛ばしてくれていることに感動してしまったから。

*宮崎便は減便で予定を組むのが大変だったりしました

機長のお名前も覚えていません。

でも、わたしの心にはしっかりその言葉響きました。

さて。帰りの便はどうかな??

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