「人生は誤解との闘い」。日本テレビアナウンサーの藤井貴彦さんの著書『伝える準備』の冒頭に記された一文。人間は「言葉」というコミュケーションツールを神様から与えられてしまいました。同じ人間なんてひとりもいないのだから、誤解があることはある意味当たり前。でも、誤解がないほうがお互い心地いいのは確か。活字にしてもリアルな会話にしても、意図しない伝わり方は不本意。
幼い頃、母に
「一回言った言葉は消せないのよ!」
こう言われてもわたしは何度も発する言葉で誤解も招いたし、傷つき心が病んだことがあります。半世紀生きてきてだいぶその機会は減りましたが(笑)
言葉を寝かす
藤井さんはこう表現しています。いま発しようとしている言葉を、「これで大丈夫か?」と俯瞰して見ること。それを寝かすと表現しているとわたしは思いました。しかし、寝かす前に言葉は出てしまう事が多い!!! 特に子育てをしている時は、酷いものでした。
「片づけてっていったよね」
「いまやろうと思ってたんだよ」
いつまで待てばいいのか……。
いまなら
「いつまで片づけられそう?」
「夕方まで」
(ながっ。ささとやってくれ!:こころの叫び)
「分かった。じゃあよろしくね」
こんなやりとりができると思う、思う……
子育てに限らず、上司と部下でも似たような会話、頻繁にあると思います。
ポジティブな言葉に変換する
わたしと同世代の上司たち。発する言葉をいくら選んでも、こころのどこかで「昔と違うからやりにくい」と思っている人が多いのでは? 同時にこういう上司に違和を覚える若者も多いのでは? お互い相容れないということ?(笑) しかしポジティブな言葉に変換することで(アンガーマネジメントにもなる)コミュニケーションが円滑になると記されています。
なぜなら、半世紀も生きているとついつい「上から」ものを見るようになっていたからです。
子どもにとっては上も下なんて意味不明以外の何物でもないです。
子どもと接してよく使う言葉が2つ
1「素敵だね!」
があります。大人に面と向かって
「○○さん、素敵です」
言うのも恥ずかしいし、言われたほうも場合によっては「バカにしているの?」と思うことがあるかもしれません。
でもこの
「素敵」
という言葉を発してみる、なんだかこちらまでほっこり、ふんわりしてしまうのです。俗にいう自己肯定感がUPするという感じ、ですね
2「大丈夫」
何かうまくいかなかったとき、子どもは泣いたり、癇癪を起したりします。
健やかに楽しく過ごすために言葉選びを楽しむ
脳の前頭前野の機能が低下すると「キレやすくなる」「感情をコントロールできない」というエビデンスがたくさんあります。認知症とも関連しています。年齢とともに、新たなコミュニティに入ることは勇気がいるし、めんどくさいです(;’∀’)したがって前頭前野を使う機会がめっきり減ります。また上から物を見るクセが抜けなかったりすると、経験に基づいた時代錯誤!?の正論を言い、相手のせいにしてしまう。最悪ですね(;’∀’)
ミュニケーションは言葉から。ポジティブな言葉は、簡単に身に染みない(と思う)。愛されるシニアを目指し(;’∀’)、いまからさらりとポジティブ言葉がでるよう、言葉選びを楽しみたいものです。
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